「仕事をするというのが一つの目標だった」
— 安里 ひとみさん
「できない理由ってなんだろうか」
弊社従業員が琉球新報という沖縄の新聞に
記事として紹介されました。
沖縄県で初といわれる視覚障害者の在宅勤務その中で、ファッションサイトの記事の業務を行っています。
彼女との面接は今でも鮮明に覚えています。
視覚障害を持ち、目が見えず車椅子の彼女ですが、自分は今までまわりの人に支えてもらってきた。
だから、今度はわたしがわたしと同じように視覚障害で苦労している仲間を助けていきたいとおっしゃってました。
インターネットで同じ視覚障害を持った方たちに役立つ情報提供やファッションサイトを提供することでおしゃれを楽しんで欲しいとのことでした。面接には移行支援(学校的なところ)の方と相談員が同行していました。
彼女からはどうしてもここで働きたいという気持ちがすごく伝わってきました。
週3回の通院(透析)により通常勤務がなかなか難しいこと。
しかも透析後は身体がだるくなるので仕事ができない。
それにも関わらずなんとか通院を午後にまわし午前中だけ出社。
勤務時間を調整して週20時間以上働きたいとのこと。
通勤にも命懸けです。
彼女が住む宜野湾市から弊社オフィスがある久米まで
バス通勤で約1時間
病気の問題で意識がなくなることもあるとのこと。
通勤支援をしてくれる支援があるが、それが通るかどうかはわからない。
まわりの相談員やスタッフが心配してそれは危険だからやめたほうがいいといっても彼女は行けますと答える。
ひとりで目が見えなくて、車椅子の状態でどうやってバス停まで行き到着したバスに乗り毎日1時間かけてオフィスまでくるのか、もちろん、途中で意識がなくなったりしたら、危険な状態である。
それにも関わらず彼女の意思は強く
まわりの反対を気にもせず、通勤しますと答えた。
弊社に通うためには市の支給決定がおりないと面接に合格しても通うことはできない。
7月から通う予定だったが、7月に市からの支給決定がおりなかった。
通勤方法や在宅勤務自体がはじめてのことだから、決定できないこと。
1ヶ月またされたが、彼女はあきらめることをしなかった。
同期たちは7月から通いはじめ遅れをとることを臆するのが普通だが、家族と一緒にいるための1ヶ月だと考えたそうだ。
8月から弊社に通いはじめ週1回の通勤と在宅勤務を開始。
スカイプを使いながら、同僚の仲間と協力してファッション紹介ブログの制作をはじめる。
彼女にはいつも勇気をもらう。
どんな状況であろうと自分の実現したいことを切り開いてくみなさんが今取り組んでることで、諦めかけていることがあるとしたら、それは本当にできないのだろうかできる方法があるのではないだろうか自分の未来を切り開くために立ち向かっている彼女の姿に勇気づけられます。
ありがとう。